静岡県伊豆松崎町にある伊那下神社。祈願、祈祷、厄祓いのご相談承ります。

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かむながらの心

和 歌    版木に彫られた言霊   古人の 喜び 悲しみ ともどもに

和歌に込められた「言霊」を紹介していきます。

人の心を種として・・・・・
    花にうぐいす 水に住むかわづの声聞けば
    生きとし生けるものいづれか歌をよまざりける。

                      (古今和歌集 仮名序より)

  • 歌の始まり

    【本文】
    古今(ここん)の序(じょ)に此歌(このうた)は、天地(あめつち)ひらけ初(はじま)りける時より出来(いでき)にけりと書り、 久(ひさ)かたのあめにしては、下照姫に初りけれども、文字も定(さだ)まらざりしに、素戔嗚尊(すさのをのみこと)出雲(いづも)の国に宮造(みやづくり)し給ふ時、八色(やいろ)の雲(くも)を御覧(ごらん)して
       八雲たつ いづも八重がき つまごめに 八重垣つくる そのやへがきを 
     
                 画像は 『百人首女今川天明6年(1786)』の古本より

  • わが国の最初に記されている歌は 須佐之男命



    31文字の和歌は神代の昔、皇祖神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟、須佐之男命(すさのおのみこと)が、お詠みになったと言われる。

    「八雲たつ 出雲八重垣 妻ごめに 八重垣つくる そのやえがきを」

    (やぐもたついづもやえがきつまごめにやえがきつくるそのやえがきを) というお歌でした。 






    = 見上げれば雲が幾重にも天を覆っている、妻との新婚の宮を建てたこの新居をつつむ壮大な雲よ =

  • 小野小町

    古文
    あるとき 天下大いに日照りして 3月にいたりければ 万民のなげき 大かたならず さるゆえに 小町にみことのりありて 雨ごひの歌をよましめ給ふ 小野神泉苑の汀に至り
     かくぞよみける ことはりや 日の本なれば てりもせめ さりとては又 あめが下とは
    この歌によって 大いに雨ふりけるなり

  • おののこまち


    「ことはりや 日の本なれば てりもせめ さりとては又 あめが下とは」 

    【通釈】
    道理(ことわり)からすれば この国が日の本だから  日照りをせめても仕方がないけれども、この世を『天(あめ)が下』とも 言うのだから雨を降らせてくれないだろうか。



    【説明】
    平安時代のある年 日照りが続き 朝廷も祈祷などに手を尽くしたが験が見えず この上は和歌の徳をもって  龍神を感応させ奉る外あるまい ということになった。
    そして詠者として当時第一の歌人として小町が召されて、 神泉苑で雨乞いのこの歌を奉納すると何と恵みの雨が降り始めた。

     



  • 和泉式部

    【本文】
    いづみ式部は 大江の政致(まさむね)の娘なり  和泉守道貞が妻となるゆへ 和泉式部とうふ 和歌の道に達して そのほまれ無に高し しかるにいつしか 夫にすさめられて かなしさのあまり 貴船神社に祈誓してよめる
    物思へば 沢のほたるも 我身より あくがれ出る 玉かとぞみる
    と詠じければ
      
    神も感じ給ひて
    をく山に たぎりて落る たきつせも 玉ちるばかり 物なおもひそ
    後に藤原の保昌が妻となりて 丹後へくだり身終れり

  • いづみしきぶ

    【通釈】
    「ものおもへば沢の螢もわが身よりあくがれいづるたまかとぞ見る」
    あなたが恋しくて思いやんでいると、沢に飛んでいる蛍も、我が身からさ迷い出てきた、魂なんじゃないかと思うわ。
    縁結びのご利益もあるといわれる貴船神社に参詣した際に、御手洗川に蛍が飛ぶのを見て詠んだという。

    「おくやまに たぎりて落つる滝つ瀬の 玉ちるばかり 物なおもひそ 」と
    神さまも憐れと思い、奥山の滝の水が飛び散るほどに、深く思いつめたりしなさるな。とお聞きくださり、願は叶いました。  



  • 壇林皇后

    【本文】
    壇林皇后は嵯峨天皇の御后(おきさき)なり 御名を嘉智子(かちし)と申し奉り 御慈悲心ふかくましまし 天皇の遊猟(ゆうりょう)を常にいさめたまへり 仏法をふかく信仰ありて 壇林寺を建立し給ふ ある時の御歌に
       「もろこしの 山のあなたに たつ雲は ここにたく火の けむりなりけり 」
    とよみ給ひけるを もろこしの斉安国師実はつたへ聞て これ仏道をふかく悟れる人なるべし 身は婦人なれども心は大丈夫なるものと申されし

  • だんりんこうごう

    【説明】
    嵯峨天皇の皇后であった 橘嘉智子(たちばなの かちこ、786年 - 850年)は仏教の信仰が厚く 檀林寺を建立したことから「檀林皇后」と呼ばれた。
    また貴族の子弟教育のために学館院を設けるなど、多くの功績があった。 伝説によると 檀林皇后はすばらしい美貌の持ち主でもあり 恋慕する人々が後を絶たず 修行中の若い僧侶たちでさえ心を動かされるほどであった。 こうした状況を長く憂いてきた皇后は 自らが深く帰依する仏教の教えに説かれる この世は無常であり すべてのものは移り変わって 永遠なるものは一つも無い という「諸行無常」の真理を自らの身をもって示して 人々の心に菩提心(覚りを求める心)を呼び起こそうと 死に臨んで 自分の亡骸は埋葬せず どこかの辻に打ち棄てよと遺言した。



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